岩SHOW《伝説を紡ぐ場、ニッセン》~日本選手権の復活を祝しての昔話~

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 今から20年以上前の話。1996年6月「マジック:ザ・ギャザリング世界選手権第1回日本代表決定戦」なるトーナメントが開催された。文字通り、世界選手権に参戦する日本代表を決めるためのトーナメントである。その形態は特殊なもので...何しろ、まだそれは"公認大会"と呼ばれるものではなかったのだ。


フォーマットはスタンダード、スイスドローの6回戦。こう聞くと「なんだ今とあまり変わらないじゃないか」と思うかもしれない。ところがどっこい、この本戦に参加するには、二日間かけて行われたリミテッドの予選を突破するか、まったく別の大会で優勝してシード権を獲得している必要があった。


かくして、500名近いプレイヤーが予選ラウンドを戦い、そして合計64名のプレイヤーが4つの日本代表チームの席を巡って火花を散らすこととなった。


ちなみに、今でいう決勝ラウンドという制度もなく、スイスドローの順位がそのまま最終順位となる。勝ち点が同一のプレイヤーは、現在のような"オポ"と呼ばれるようなシステムもないため「このトーナメントで勝ったゲーム数-負けたゲーム数」の値が大きいものを上の順位とする、独自のシステムにより順位付けされたそうだ。このトーナメントの優勝者決定戦は「チャンプ」「ジャパニーズ・レジェンド」塚本俊樹と「業師」「ハットマン」中村聡で行われた。両名は同じ調整チームで、共に日本代表の座を目指していた。




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今の感覚なら、ここでID(合意の上の引き分け)を選択してワンツーフィニッシュ万々歳なのだが、何度も言うように時代が時代なのでそのような概念は存在しない。それぞれ「ネクロディスク」「ステロイド」で戦った決勝戦。負けた方は代表に残れないかもしれないという状況下で、両名は死闘を繰り広げた末に時間切れの引き分けとなり、めでたくそろって日本代表となった、そんなエピソードが残っている。



 お気づきの通り、これが後に日本選手権と呼ばれる大会の第1回目、0回目といった方がよいか。いずれにせよ、海外のプレイヤーと戦う日本代表を決める決戦の場は、ここより始まった。日本初のグランプリであるグランプリ東京1997よりももっと前から、日本選手権のDNAは脈々と受け継がれていたのである。




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そして、それは2011年に制度変更を迎えて一旦眠りについた。白単色の《鍛えられた鋼》を軸にしたビートダウンを用いて石田龍一郎が優勝。あれがもう、6年も前のこと。この6年間、マジックには多くの変化がもたらされた。時代と共に変化するプレイ環境の中で、多くのトーナメントプレイヤー達の心に去来したのは「ニッセンをもう一度」という思いだった。


彼らの声が届いたのか、国別選手権による代表チーム決定というシステムが復活。その先にある舞台は世界選手権ではなくワールド・マジック・カップに代わってしまったが、祭典の復活は朗報であった。協賛店舗の皆様のご協力により、上位入賞者へは賞金が授与されることも決定。世界と戦うという名誉と賞金、その2つを巡ってプロもアマも一般プレイヤーも火花を散らす、"熱い夏"が復活しようとしている。


 


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 この記念すべき復活祭の主催・運営はBIG MAGICということで、2004年王者である所属プロ兼ELDERSの一員・藤田剛史の話をしないという選択肢はないだろう。この時の日本選手権は


 


1日目:スタンダード3回戦+ドラフト4回戦


2日目:ドラフト3回戦+スタンダード4回戦


3日目:スタンダード(決勝ラウンド)3回戦


 


 という、今とはやや異なる形式で行われた。ドラフト4回戦という見慣れない数字が特徴的だ。この頃の環境はというと、『フィフス・ドーン』発売から1週間後。ドラフトは勿論これを含めた『ミラディン』『ダークスティール』の3パックで行われるのだが、スタンダードではまだ使用可能セットとなっていなかったため(当時は新セット発売と同時にそのセットのカードが使用可能となるわけではなった)、『オンスロート』から『ダークスティール』までのセットを用いて構築されたデッキで勝負することとなった。


 


 『ダークスティール』期のスタンダードというと...知っている方も少なからずおられるだろう、アーティファクトによるビートダウンデッキ「親和」がぶっちぎりの強さで暴れまわっていた環境である、特に『ダークスティール』で得た《電結の荒廃者》と、それと強烈なシナジーを形成する《頭蓋骨絞め》がこのデッキを"壊れ"の領域まで押し上げていたのである。




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0マナで設置されたアーティファクト1枚が、手札2枚と+1/+1カウンターに変換され、《大霊堂の信奉者》の能力も誘発させ...とにかく、何かが狂っていた。


この「親和」に対抗すべく組まれた、オンスロート・ブロックの部族カードを活かしたエルフやゴブリンデッキも、みな一様にこの最強最悪の装備品を標準装備としていた。



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そのあまりの強さ、ゲーム性の破壊っぷりから、《頭蓋骨絞め》は禁止カードとなる。


当然の結果ではあるが、この禁止が施行されるのは、2004年6月20日よりと発表された。日本選手権2004の開催期間は、同年6月11日~13日。天はこの禁断の装備品に、最後の舞台を用意したのだ。


かくして、同トーナメントでは使い収めと言わんばかりにこの《頭蓋骨絞め》を採用したデッキ、特に「親和」が多数参加することになったのだが、勿論それを見越して親和キラーを持ち込んだプレイヤーも少なくなかった。全169名の参加者中、「親和」を選択したのは61名・35%で、これに続く第2勢力となったのはアーティファクト破壊に長ける「ゴブリン」で21名・12%。この「ゴブリン」を選択したのが藤田剛史、ローリーさんである。


 


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RG Goblin by Fujita Tsuyoshi


23土地
12《山/Mountain》
4《樹木茂る山麓/Wooded Foothills》
4《森/Forest》
3《真鍮の都/City of Brass》


29クリーチャー
4《ゴブリンのそり乗り/Goblin Sledder》
3《スカークの探鉱者/Skirk Prospector》
4《火花鍛冶/Sparksmith》
4《ゴブリンの戦長/Goblin Warchief》
4《ゴブリンの名手/Goblin Sharpshooter》
3《ゴブリンのうすのろ/Goblin Goon》
3《つつき這い虫/Clickslither》
4《包囲攻撃の司令官/Siege-Gang Commander》


8スペル
4《静電気の稲妻/Electrostatic Bolt》
4《酸化/Oxidize》


15サイドボード
4《頭蓋骨絞め/Skullclamp》
4《星の嵐/Starstorm》
4《帰化/Naturalize》
3《ヴィリジアンのシャーマン/Viridian Shaman》


 


 


 それまでのゴブリンデッキの主流だった、赤黒の《総帥の召集》入りのものから黒を抜き去り、そのしぶとさは失われたが爆発力を大きく高めることに成功した「赤単ゴブリン」。そこに更にアーティファクト許すまじと、緑が誇るアーティファクト破壊を追加したのがこの「RGゴブリン」だ。


 


 デッキとプレイヤースキルも相まって、ローリーさんの快進撃は続いた。初日を6勝1敗で終えると、予選ラウンドを3位抜けで通過。現在はプロツアー実況を務める鍛冶友浩、後のプロツアー王者である大澤拓也といった面々に勝利し臨んだ決勝ラウンドでも、後の世界王者であり同じ殿堂入りを果たす「魔王」三原槙仁がその第1戦目で立ちはだかる。


ローリーさんは日本選手権という舞台と、どうにも相性が悪かった。98年こそTOP4に残り代表の座に就くも、以降は上位に入賞することはなかった。そのジンクスを破るべく、このTOP8にはかなり気合いを入れて臨んでいたことかと思われる。が...当時のカバレージには、この準々決勝のゴブリンミラーマッチにてまるでフリープレイかのようにはしゃぐローリーさんの姿を見ることができる。


 


そして藤田のドロー。またしても土地は引けなかったが、引いたのは《火花鍛冶》。場には4マナ。手札にはもう1枚の火花鍛冶。4マナを倒し、2体の鍛冶を場に送ると、


「死ね!(1枚サクリファイス)ケンシロウ!(2枚サクリファイス)」


(引用元:https://magic.wizards.com/en/node/576761)


 


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「死ね!ケンシロウ!」はローリーさんの口癖であり(勿論某人気コミックを基にしたネタ)、カードを2枚相手に投げつけて勝つ時には右手、左手と秘孔を突くように構えた指を繰り出してポージングしながらこのセリフを口にするのだ。日本選手権、ここ数年の雪辱を晴らし、日本代表になるために負けられないという試合で...このリラックスっぷり!あるいは勝つためにはこのぐらいの余裕が必要なのかもしれない。


 


 決勝戦では、こちらも同じく後の殿堂・このトーナメントではオープン予選を勝って出場権利を手にし、そのまま驀進してきた津村健志とぶつかり合う。ゲーム内容は、是非当時のカバレージで確認してみてほしい。これまで日本選手権と相性の悪かった男・藤田剛史の第一声は「実感ないなぁ...」だったという。


 


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 日本選手権に向けて、どのような大会なのかを伝える記事を書いてほしい、という依頼で今回は筆を執らせてもらった。結局、僕が若かったころに伝え聞いた日本のエルダーたちの昔話を伝承するだけの場になってしまったような気もするが、マジックを始めてまだ年月が浅い人が日本選手権という舞台でどのようなドラマが展開されていたのかを知るお手伝いができたのであれば...それで良いかな。新しく生まれ変わった日本選手権2017は、これまでのそれとは趣が異なるものになる。ただ、優勝者に送られる称号は、今も昔も、これからも変わらない。


 


日本王者。


 


君も目指してみないか?日本一になりたいプレイヤーが集う夏の祭典、競技マジックの神髄を思う存分楽しんで!


 


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