サイドボード ...さすがに忘れました。 たしか同系対策に《エメラルドの魔除け》と青対策に《孤独の都》をたくさん入れていたような気がします。 |
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入賞はしていませんが勝ち越しという成績だったはず、
の一言で終わらせるにしては、いやあ、我ながら全くもって可愛げのないデッキ選択をしていますね。 初公認大会が瞬殺コンボデッキだなんて、アンケート取ったら1割もいかなさそうなのが請け合いますよ。
唯一ネットで拾ってきたレシピだったのを、改造と言う名の多少の改悪を施した、というところについてだけは当時の自分を擁護できる...のかな? もしかしたら記憶から抜け落ちているだけで、教示者あたりを抜いてもっとトンデモカードを入れていたのかもしれません。
デッキの動きを簡単に説明すると、 結果は3勝2敗か4勝2敗だったか、
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これだけです。 初手に6マナとキーカード3枚を揃えれば1ターンキルも可能という「完全絵合わせデッキ」。 ちなみにこの当時、1マナの手札破壊は存在しません。 |
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一番強い手札破壊が《呆然》で次が《強要》なので このデッキにとって怖いのはカウンターのみ
冷静に今見ると、とんでもなく強いデッキのように思うのですが不思議な事に当時の大阪、この大会ではそれほど有力なデッキでもなく笹沼さん(※)がAPACで準優勝したカウンターが入ったバージョンが数名いた程度。 (※編:笹沼希予志。「日本3大地雷」に数えられた、地雷=完全メタ外オリジナルデッキの使い手。上記のAPAC(アジア太平洋選手権98)準優勝など、90年代後半から2000年にかけて活躍。かの「おにぎりシュート」「バベル」「ドラコ爆発」の生みの親。)
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まあ環境に弱点と言えるヘビーカウンターデッキが存在していたという事もありますが この大会では特定のデッキが幅を利かしているという印象もなく、 各人が好きなデッキを使っているというような雰囲気だったと記憶しています。 ある意味牧歌的な、ネットでの拡散が薄かった最後の時代の残滓だったのかもしれません。 こうして小天狗は鼻を折られる事なく、「それなりにやれるかも」という感想を抱いて家路につきましたとさ。
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「暗黒時代」
と、ここまで当時の私視点で見た公認大会というもののあれこれ。 ですが、当時と今では根本的に違っていた点が1つだけあります。 今回はこれがメインテーマ。ちょうど私が公認大会に出始めた頃ってある種の「暗黒時代」真っ只中だったのですよ。
知っている人は知っているかもしれません。 それは、ルールに対して異様なまでに厳しさを求められていたこと。 ギスギスマジックどころではありません、殺るか殺られるかマジック。 今考えるとそりゃあもう酷いものでした。
具体例を出すと
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青マナと5マナを払って《ミューズの囁き》を打ちます。 「あなた"バイバック"って宣言してませんでしたよね、その囁き墓地に落ちて、マナバーン(※)5点食らってください」 (※編:『基本セット2010』まで存在したルール。フェイズ終了時にマナプールに残っているマナを失い、その際に残ったマナ1つにつき1点ダメージを受けるというもの。上記の場合、バイバックという能力に5マナ支払った宣言をしていないので6マナ払って1マナの呪文を唱えてフェイズを終了した扱いになる。)ネタじゃないですよ? これ、当時頻発した決まり手。宣言し忘れドボン。 当時の価値観では満場一致でクレーム入れたほうが正しいという裁定になります
そこからのちょっとした発展形で土地を少しでも傾けたらやり直しは認められません、 マナは出したものとして扱われ消費出来なかった場合マナバーンとしてライフを失います。 もちろん払い直しも不可、色マナが不適正やどうしても払い直したい場合は追加で余分にマナを出してマナバーン。
冗談抜きにアンタップしてから土地を触っただけでマナを出したとクレームを付けられ、それがジャッジ沙汰になるとクレームを付けた方の主張が通っていたのです。 「角度が何度に土地が傾いていたらジャッジにマナを出しているというアピールが出来るか」なんていう議論もされていた記憶があります。
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今でこそ「ジャッジキル」なる言葉をマジックプレイヤーは鼻で笑えますが、そんな時代もあり 重箱の隅を突くのがプレイヤーの権利で、むしろ義務ですらあるとジャッジも含めて考えられていた時期が一時期と言わず風潮として存在していました。ただ個人的にはその方向に行ってしまっていたというのも判らないではないのですよね。今だからこそ言えるのですが、 当時のマジックは良くも悪くもサブカルチャーの本当に狭いところから分離して産声を上げたばかり、 視点が完全にガチ一辺倒で、ガチ追求の行き着く先としての1つの終着点として完璧な所作を要求というのはまあ、ありうるのかななんてのも思います。 かくいう私もそちら側からスタートして、 ガチの極みとも言えるプロプレイヤーなんざをやっていたので、 馬鹿みたいだとは思いつつも、それがルールならば出来ないほうが悪いというだけの事。
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かつての《翻弄する魔道士》や《陰謀団式療法》でカード名を正確に宣言出来なかったら無効というので損をするのは自己責任、 得をしたならそれは只の相手の損失。 それとどれだけこの土地問題が違うのかと言われれば、明確に答える事は難しいかな。 所詮時代の要請に従うだけ程度の事でしかないとも思うのです。 と、まあそんな大言を吐きつつも後に《仕組まれた疫病》で盛大にやらかす話をするのでそこに期待しておいてください。
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とはいえ当時のルール適用度は最も有名な 日本選手権で起きた「《ヴォルラスの要塞》起動できない事件」、 |
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要塞を起動しようとして先に要塞をタップしたらマナを出したとのクレーム。 現代ならむしろクレームを付けた方がもしかするともしかしますが、この当時はこのクレームの方が正しいという判断で、「宣言手順は全て相手に突っ込まれる隙を与えない」 それが公認大会に出る上で最低限知るべきマナーだった、という時代がかつて存在したというのが今日のお話でした。
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「アウトロ」
いやあ怖いですね、恐ろしいですね。 今この時代にマジックできていて幸せです。
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とはいえ個人的にはまだこの頃のルール適用度・ギスギスはまだやや甘、 この後のウルザ・ブロックにて"フリースペル"というカードパワー的にもアウト、宣言は明確にしなさいよ的なものでもアウトという「ダブルやらかし案件」にて最高潮を向かえるのですがそれはまた追々に。
・追記 次回はその辺りを絡めて、【検閲】の話なんかができたら良いなあ |